建学の精神(6)AI時代に必要とされる精神

「建学の精神(5)AI時代に必要とされる精神」のつづきです。

建学の精神が具現化する教育活動

OGである中村先生は、学園生活を振り返って、「朝は三帰礼文、帰りは四弘誓願文という短い経をお唱えします。私は学生時代この正念の習慣が持てたことが宝でした。せわしない日常を強制的にやめ、<整える>時間を朝と帰りに持てて、朝は誓い、帰りは自分を見つめ、反省する時間になりました」と語ります。そして、このように、正念というアクションで見つけた本来の自己や真心を表現として実践していく方法の1つとして、「会食」という方法があるというのです。

0642.jpg

(永平寺参拝研修で、僧侶の方々の前で「永平寺賛歌」を合唱する駒沢学園女子の生徒)

中村先生はこう語ります。「会食は週に1回、他の先生も含めて、お弁当を各自持ってきて静かに頂きます。食前に、五観の偈(ごかんのげ)を唱えます。これは食する心構えが示される、五つの短い経文で、<観>とは心の眼です。静かに食するのですが、そこがコロナ禍の黙食とは全く意味が違っています。<心の眼>で見るものは、命です。

豚肉の料理だったら、ついこの間まで生きていたブタさんという命だったよねっていうところで授業でも投げかけつつ、そういった元々の姿形は何だったんだろうっていうことに思いをはせながら、でもその命を頂かなければ生きていくことができない私、どう生きればいいのかっていうことを観るのです。日常生活でお喋りしているときには、忘れてしまっているようなことです。そこを改めて感謝の気持ち、自分自身の生き方を見つめるそれからあとは作ってくれた人や環境に感謝といういろいろなところを含めて週に1回会食というのを行うのです」と。

土屋校長も、ある生徒の次のようなエピソードを語ります。「その生徒は、会食を通して命を頂くということを意識するといいます。だから、会食で感謝の気持ちを込めるのだと。それからお弁当になるまでに多くの人の手がかかっていることにも感謝の気持ちを抱くと言うのです。そして、続けます。だけど自分にその価値があるのかということを考えたときに、自分は命をいただくまでの価値はないんだけど、ごめんなさいみたいな気持ちになるのだと語るのです」と。

このエピソードを聞いた中村先生は、「すごいですね。そう自分に問いかけるのですね。本当によく自らを見つめ、意味も考えているからこそ出てきたのだと思います。今ちょっと、嬉しいというかびっくりしてるんですけれど、そこを私たちが共感できることがとても大事だと思います。人間って矛盾しているところがあります。綺麗さっぱり綺麗事ではいかないっていうところで、その生徒の葛藤って、そこに価値がたしかにあります。命を大切にしましょうって言ったところで、私は命をいただいているんだっていうその気づきがまずあるっていうのは、なかなか普通はないと思います。その自覚っていうのが大事で、そうだよね命いただいてるでも私は悪口言っちゃったよねとか、お母さんにひどいこと言っちゃったよなっていう反省が出てきて、悩みつつ、それでも命をいただきながらしか私は生きてくことができないんだなっていうのを、深くわかって頂くわけです」と。

土屋校長は、それゆえ、その生徒には、その自覚が実は得難いものだと返答したということです。人間は悩みながら、なかなか納得のいく答えにいきつくものではなく、命を大切にしなさいって言ったところで自分もまた命を頂いていて、自己矛盾に陥ってしまう。だからこそどう生きるのかということを考えざるを得ない。そう考えて生きているのだから素晴らしい価値をあなたは持っていますと答えたということです。

土屋校長は、私たちの学校は、道元禅師のものの見方・考え方を大切にしています。その考え方の一つに「懺悔滅罪」という精神がありますが、このように会食の時に感じた生徒と共に対話するところに、このような懺悔滅罪という大切な精神に私たちは触れているのだと。

この会食を通して生徒が感じるエピソードは、駒沢女子には、日々多様な次元で、生徒が自己を見つめ、自然と社会と精神がつながるにはいかにしたら可能かを感じ、悩み、考え、表現する探究の智慧が生まれてくる環境がデザインされていることを示唆する話であり、同時にそれは建学の精神が具現化される教育活動の1つであることを象徴しています。


お知らせ一覧に戻る

研修カテゴリー・テーマ

一般財団法人
東京私立中学高等学校協会
東京私学教育研究所

〒102-0073
千代田区九段北4-2-25 私学会館別館4F
キャラクター