建学の精神(2)私立学校の大切な建学の精神

本シリーズ「建学の精神」の第1回目は、協会の文化部担当理事で、プロジェクト部会の委員でもある中嶌裕一先生(国際基督教大学高等学校校長)に寄稿していただいた論考を掲載しました。

「私立学校の建学の精神~国際基督教大学高等学校の教育を通して」
  →https://k.tokyoshigaku.com/news/2024/004817.html

同論考は、次の象徴的なパラグラフから始まります。

「国際基督教大学(ICU)は、三鷹に東京ドーム13個分という広大なキャンパスを有しています。ここには戦前、日本の軍用機・エンジンのトップメーカーの中島飛行機株式会社三鷹研究所が置かれていました。1941年12月8日、日本軍の真珠湾攻撃とヒトラーのモスクワ攻撃放棄の指令の日、ここで地鎮祭が行われています。アメリカ本土爆撃のための巨大爆撃機のエンジンも、ここで研究と開発が行われていました。戦後、日米のキリスト教会関係者の間で平和の砦となるキリスト教大学をつくろうという機運が高まります。」

この箇所について、この地がキャンパスとして選ばれたということは、偶然ではなく、何か重要なことが横たわっているのではないかと、中嶌校長に尋ねたところ、新たな論考を寄稿していただきました。本シリーズ第2弾としてご紹介します。


たくさんの人々の思いと、時代の大きな流れの中で、ストーリーを持って創立された学校

国際基督教大学高等学校
校長 中嶌裕一

ICUは、たくさんの人々の思いと、時代の大きな流れの中で、ストーリーを持って創立された学校であるということができます。

大学は1953年、そしてICU高校は1978年にそれぞれミッション、使命を高くかかげて創設されました。ここは、世界平和への貢献、また、キリスト教を基盤に平和と人権を追究する学び舎です。

本校を訪ねてくださる受験生と保護者の皆さんに、ひとつの建物を紹介しています。「大学本館」です。

ICUHS_卒業式_2403150_469.JPG(卒業式恒例のネクタイ投げのシーン)

ICUのキャンパスには、79年前、日本の軍用機・エンジンのトップメーカー、中島飛行機株式会社の三鷹研究所が置かれていました。5千人をこえる人々が働く研究所でした。キャンパスにお越しになる方は、その広さ、また道幅の広さに驚かれることと思います。

1941年12月8日。日本軍の真珠湾攻撃により太平洋戦争が始められたその日、ヨーロッパではヒトラーがモスクワ攻撃の放棄を指令し、ドイツ軍のソ連侵攻が中止されます。そしてその日、ここICUキャンパスの前身、中島飛行機三鷹研究所で地鎮祭、つまり起工式が行われ、今日も残る本館をはじめとする建物の建設がスタートします。アジア太平洋、ヨーロッパ、そしてここ三鷹がつながります。1941年12月8日のことでした。

アメリカ本土を爆撃するための超大型爆撃機「富嶽」のエンジンも、この「大学本館」(もと「研究本館」)で開発と設計が行われていました。
79年前の1945年8月15日、正午に、ここ三鷹研究所で働く従業員一同は、ラジオの前に整列し、昭和天皇による玉音放送に耳を傾けたようです。列の後ろの方にいた人たちには、ラジオ放送が何を告げているのか、よくわからなかったが、「列の前の方から人々が次々と泣き崩れたため、敗戦の放送であることがわかった」とのことです。79年前の暑い夏の日に、この建物で繰り広げられた情景を想像してみてください。茫然自失、悲しみ、不安、安堵。あるいは喜び。

やがて、日本のキリスト教界と北米プロテスタント諸教会関係者の間で、平和の砦となる、キリスト教大学をつくろうという動きが高まります。

こうして、日米の多くの人々の募金によりこの広い土地が買収され、かつての「軍事産業の砦」が「平和の砦」ICUに生まれ変わったのです。そしてその25年後、ICU高校が誕生します。

アメリカにおいて募金活動をリードした一人に、バージニア州リッチモンドの長老派教会ジョン・マクリーン牧師がいます。牧師は1946年初頭、「汝の敵を愛せよ」と題する説教の中で、原爆投下のおわびと日米の和解、再建のための献金をキリスト者に呼びかけました。牧師の名は、ICUの正門から西に向かって伸びる見事な桜並木の「マクリーン通り」に残ります。このマクリーン通りのつきあたりには今、大きなロータリーと大学礼拝堂(チャペル)があります。戦時中は、「研究本館」の奥にあった機体部門の格納庫で組み立てられた飛行機が、何人もの人々によって押されてこのロータリーを通って調布飛行場に運ばれていったそうです。

1952年、献学式に列席したマクリーン牧師は、こう述べました。
「戦争は破壊であり、平和は美しいものです。」
新型コロナウイルス感染症の拡大を受けて、2020年来、国連事務総長、また各国の首脳は、口をそろえて「戦後最大の危機」「戦後最大の挑戦」と訴えました。さらに、ロシアによるウクライナ侵攻によって、「戦後」という大きな枠組み自体もまた、揺さぶられています。

私は、「戦後最大の危機」「戦後最大の挑戦」といったことばを聞くたびに、「戦後」という大きな時間の枠を、かろうじて平和が守られた80年間を、共に生きているという感慨とともに、ICUが名指しにされているという思いを抱きます。

「平和の砦」として、戦後を歩んできた私たちICUに連なる者は、これからも平和をつくりだす使命を胸に、世界の人々の連帯・共生のために働く者でありたいと願うのです。
キャンパスを訪れる受験生の皆さんに、共に仲間に加わってくださいませんかと呼びかけているのです。


ICU高校は、「たくさんの人々の思いと、時代の大きな流れの中で、ストーリーを持って創立された学校」です。そのストーリーには、「かつての『軍事産業の砦』が『平和の砦』ICUに生まれ変わった」という物語が内包されています。私立学校の建学の精神には、ICU高校のように、本質を求め続ける強い意志や困難に立ち向かう勇気といったものが含まれているのかもしれません。


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