建学の精神(3)ストーリーを生成する建学の精神
学校法人文化杉並学園理事長の松谷茂先生は、一般財団法人東京私立中学高等学校協会の総務部長として、入学試験に関連する事項全般を所管し、東京都中学校長会との連絡・協議をはじめ、都内公立中学3年生の公私での受け入れ分担数等について、毎年東京都教育委員会と協議を行うなどの大役を果たされております。
昨今では他道府県等認可の広域通信制高等学校が、東京都で定めている入試日程とは無関係に、極めて早期に入試を実施しております。これにより、私ども会員校はもとより、公立中学校3年生の進路選択や学習活動そのものにも大きな影響が出るなど、東京都全体の教育が歪んだ方向に進んでおります。松谷先生は、これからも会員校がそれぞれの建学の精神に基づき魅力的で多様性に富んだ独自の教育を維持できるよう、また、公立中学校3年生全員が安心して進路選択ができるよう、関係各所との交渉に全力を傾けておられます。
このようにご自身の学校だけではなく、協会会員校424校のそれぞれの未来の発展を持続可能にすることに貢献されている松谷先生の精神力と行動力の源泉は、今年50周年を迎えた文化学園大学杉並中学校・高等学校の建学の精神を軸に独自の先見性・先進性を発揮した教育を実践してきた豊かな経験にあります。
松谷先生は、創設当初から同校に勤務し、久しい間、第4代校長を務め、今年理事長に就任されました。建学の精神を初代校長山岸義一先生と共に創り、その精神をその時代の要請に適合させながらも私学は自由に教育を創っていくことができるという信念のもとに学校を作ってきました。
松谷先生は、「本校の建学の精神は<感動の教育>です。子供たちが、コツコツ学び、一生懸命に部活に取り組む。そのときに、自分でできたとかやりぬいたという達成感や満足感を感じることができると、モチベ―ションは燃え上がります。それは、しかし、自分で自由に創意工夫しながら行える環境があるからこそ感じるのです。
しかも、その達成感や満足感は、仲間と共有できる互いに認め合う助け合うことができているから感じます。このような気持ちが日々の勉強や部活に取り組む瞬間瞬間に生まれてくるのが私どもの<感動の教育>なのです。
なぜ創設当初、日々の勉強や部活で感動が生まれるようにしたかったのかというと、50年前というのは、学習指導要領が現代化カリキュラムといわれ、落ちこぼれの子供がたくさんでて社会問題化した時代です。そのため、ゆとりカリキュラムが生まれてしまった原因にもなったといわれています。
実は日本だけの問題ではなく、世界でもIQ重視の教育が見直されていた時期です。ですから、今でいうEQを大切にする教育の先駆けだったと思っています。社会的には、高度経済社会がいったん低迷し、石油危機や深刻な環境問題が起こっていた時代です。IQを軸に競争する教育が見直されるまでにしばらく時間がかかりましたが、私どもは独自に新しい教育を自由に作っていく決意で始めました。それが<感動の教育>です。」
私立学校が創設されるとき、その時代背景には社会的な諸問題が広まり、子供をはじめとする弱い立場の人々が生活に困窮したり、精神的に病んでしまう壮絶な状況が生まれているのが常です。
松谷先生のお話から、文化学園大学杉並が50年前に創設されたときも20世紀末まで解決されることがないどころかますます困難な社会問題や教育問題が生まれていたということが了解できます。
しかし、そのような困難な時代であるからこそ、それに負けず、生徒が自分自身の価値を見出し、自己肯定感を高める教育が必要だったのだと松谷先生は語ります。
最初松谷先生はソフトテニス部の顧問もし、日本一のクラブにしていきます。練習は厳しいものでしたが、その達成感が感動を生み出し、自己肯定感を高め続けたことは想像するに難くないでしょう。
また、剣道部も創設以来強い部ですが、二人いた顧問のうち一人が、近隣に薙刀道場があったため、そこで薙刀の修行をし始めました。それがきかっけで、50周年の記念パーティーでも美しく演じた薙刀部が活躍するようになったのです。
なぎなたの多様な構はしなやかで活力があると同時に美しい舞でもあります。松谷先生は、「コツコツがんばる感動にしなやかな強さが美を生み出す感動も加わるようになったのです」と語ります。
そして10年たったときに、文化学園大学(当時女子大)で学んで同校に就職した家庭科教諭が、今ではすっかり有名になっている文化祭のときのファッションショーを生徒と共に立ち上げたのです。その教師は、松谷先生の教え子でした。
建学の精神である<感動の教育>が、教員一人一人に染みわたり、それぞれの得意とする技術と才能をカタチにしていくことによって私立学校の教育は不易流行として発展していくのです。
松谷先生は「こうして<感動の教育>は、美をデザインする教育にまで広がっていった」というのです。
(つづく)